寿命です

今日が人生でいちばん最良の日

「治療が楽しいので余命宣告延長します」ーがんになったら読む話ー

※はじめに※*ブログのシステムにまだ慣れず失礼なこともあるかもしれません!頑張ります!*
少しずつ読んでくださる方が増えて感動しています。ありがとうございます! 
日本人の2人に1人がなっているといわれる「がん」。がん治療は苦しいものだと思いますか? 
がん治療を頑張らずに、つらくも痛くも副作用もない道があったら嬉しくないですか? 
乳がんステージⅣ、余命宣告…、そんなわたしがラクに楽しく完治に向かっているという事実。
治療そのものだけでなく、食事に気をつけたり、ストレスを緩和したりしながらカラダとココロを整え、がんについて自分なりに調べることも重要だと知りました。そんなわたしの経験が、誰か、たったひとりでいい、その誰かの前向きなエネルギーになってくれたらそれだけで充分に意味があると信じて、必要な誰かに届けるために書き続けています。
         

   

       病院がキライで、薬がキライで、医療不信のわたしが
       食生活を見直し、
       CEAT療法に出逢い、
       新しい自分を発見する話。
(「寿命です」kn1903)

       ※CEAT療法を盲目的にお薦めしているわけではありません。
          ご自身でよく検討して治療法を選択されてください。

  



●「延長~!」という裁断

50歳を越えたらある意味ゴールだと思っていた。

「人生50年」というコトバもあるくらいじゃないですか、黒田官兵衛も50歳を迎える前に早々にご隠居されたというし、山あり谷ありの人生を50年という区切りまで無事に到達したならあとの時間は「おまけ」だという感覚があったから、『余命』がそれほど残されていないことを知ってもたいした驚きもなかった。余命、というより、すでに余生だし。 
 

それまでの時間になにをどうしようかなぁ、
服は必要な分だけ残して本や写真は全部処分しよう、
ちょっとしたメモ書きやスケジュール帖も誰かに見られるのって恥ずかしいよね、
クレジットカード、ポイントカード、PC内の情報整理、メールとかSNSとか、

あぁ、残り時間を考えるとやることありすぎー!! キィーッ!!


乳がんと知っていながら放置していたわたしの余命はあとわずか。
50年間散らかし続けた人生の幕引きをどうするか。
(すみません、サバ読みました、53年間だ、斉藤和義スガシカオとタメだ)

「生きている」というのは四方八方にいろんなものを拡張しているようなものなのかも。おもちゃを散らかしまくって遊んでいる子どもとなんら変わりない。きれいに片付けてもきっとどこかに「こんなものが!?」…なんていう、実はハズカシイなにかを残してしまう可能性もある。生きてきた年数分の人生のカケラを拾い集めて処分していくのって案外大変な作業だなぁ、と、ひとりごちていた。
 

ところが、である。
 

寿命というのはいったいどうゆうシステムになっているのか。
病気じゃなくても、明日事故に遭ってこの世にいないかもしれない、餅をのどにつまらせるかもしれない、逆に、残り少ないだろうと言われた命がなぜか延長されることだってある。


なんかさ、
閻魔大王の裁断がおりた、
みたい、
なんだよね。


延長、になったみたい。

●余命宣告は目安

余命宣告はそれほど当てにはならないと慰めらたけれど、やはり告げられる本人の頭の中にその数字がリフレインしているもので。元気なうちに身辺整理をしておかないとこれから先、動けなくなってきてからでは後悔する。残りの時間があるということは考える時間も持てるし、身支度も覚悟もできる、そして、お世話になった方々に「ありがとう」と伝える時間も作れる。なぜかそれがしあわせなことだと感じた。

大きめのノートを用意し、この1冊に想いをまとめようと思った。

レターセットを準備して、ひとりひとりに手紙を書こうと思った。

わたしが死んだ後に届くメッセージ、涙する友人たち、生活感のないガランとしたアパートの部屋、時の流れと共にわたしが生きた軌跡は跡形もなく消え去って…



いくはずだったんだけど、ごめん、生きてる。



片付けはじめていたあれやこれやは、急にストップがかかった工事現場のように散らかったまま落ち着きはらっている。「終わらせるための片付け」が「生きるための整理整頓」になって、以前より生活雑貨が増えてるんですけども?

●贅沢に生きる

人生50年、というのは、
実際は『人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり』(人の世の50年間は天界の時間と比すれば夢幻のように儚いものだ、といった意味のことば)が転じて言われるコトバ。天界の時間がどうなのかは知らないが、ほんとに50年というのは長いようで短く、アッという間だ。

生きているのが良くて、死ぬことが悪いだなんてちっとも思わないし、
生きているということは必ず死ぬということで、「死」はあたりまえだとしか感じない。
忌み嫌うものではない。

この世に産まれると決めたとき、人生のシナリオを握りしめ、寿命だって自分で決めてきただろうと思う。自分以外の誰かが宣告するものではなく、自分が決めている年月日があるはず。それまではなにがあろうと「生きる」一択しかない。


CEAT療法に出逢って、乳がんステージⅣの末期状態が「治る」方向へと確実に進んでいる。
痛みも違和感もなく、しこりも退縮し、自壊傷も小さくなった。
まだ治療回数はかかりそうだが、なんの副作用もなくラクに楽しくがん患者でいられることが面白くもある。CEAT療法を体験できているのは「がんになったおかげ」でもあるからだ。クリニックに通うのが楽しい、不謹慎だがほんとうにそう思う。


現在、まったく標準治療をせずに、CEAT療法のみで元気ハツラツである。


「生きる」というほうがツライことや悲しいことが待ち受けているかもしれない。今までだって山あり谷ありの大変な人生だったけれど、だからもうここで終わらせたってなんの後悔も未練もないのだけど、これから先さらに山も谷もとんでもなく強烈なコースが待ち受けているのだとしたら、

あんまり長くなくてもいいんだけど。


贅沢だよね、ほんとに。

同じ「がん」と言っても人それぞれで、同じ「乳がん」といっても千差万別。同じ人がいないというくらい病状も状態もそれぞれに個性的だから、どこまで参考になるかはわからない。 
だけど。
少しでも。
勇気になるように、希望になるように、笑顔になるように。

あなたが今、生きているということそのものが希望。

大丈夫。



今日はここまで。

書き続けます。



 

CEAT療法とは、「がん活性消滅療法」(Cancer Energy Annihilation Therapy)の頭文字を取ったもので、共鳴反応検査とマイクロ波照射療法でがんを治療する療法。一般的ながんの標準治療(手術・抗がん剤放射線)とはその様子がまったく異なり、検診やCT画像等では見つけることができないわずかな「活性がん遺伝子」までも発見でき、健康な細胞にダメージを与えることなくがんの活性を消し去ってくれるものです。


『「がんは取るに足らない病気である」という世にできると信じています。』
        (一般社団法人 癌活性消滅療法学会理事長 前田 華郎氏の言葉より抜粋)
           ※癌活性消滅療法学会ホームページ → https://ceat.or.jp/greet.html


このブログが誰かの役に立ちますように。



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病院がキライで、薬がキライで、医療不信のわたしが
食生活を見直し、
CEAT療法に出逢い、
新しい自分を発見する話。
 
『寿命です』 K.N 


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