寿命です

今日が人生でいちばん最良の日

「スライディング・ドア」 ーがんになったら読む話ー


※はじめに※ *主に月曜日と木曜日にUPしています*
乳がんステージⅣ、余命宣告。あとわずかと判断された命が「CEAT療法」に出逢い、ラクラクと完治(寛解に向かっている今をいろいろな角度から書いているブログです。
苦しさもツラさも副作用もなく「闘病」とは縁のないがん治療に出逢えたことで「がん」に対する認識が変わりました。がんは怖くない、つらくない。闘うことが前提になっている常識を覆して苦しみから解放されて欲しい。そんな思いが常にあります。
がんになったおかげでいろんなことを学びました。治療そのものだけでなく、食事に気をつける・ストレスを緩和する・カラダとココロを整えるなど、普通に生活していく中でも大切なことがそのまま治療にもなること、そして、がんについて広く深く調べることもとても重要だと知りました。主治医の言われるままに悩みながら治療を進めたり、まわりの人の意見に左右されて迷いながら流れてしまうことなく、自分で自分の人生をほんとうの寿命の日までしっかりと歩いてもらいたいのです。

このブログに出逢ってくれた誰かの今日が人生でいちばんいい日になりますように。

わたしの経験が、誰か、たったひとりでいい、その誰かの前向きなエネルギーになってくれたらそれだけで充分に意味があると信じて、必要な誰かに届けるために書き続けます。
   
       病院がキライで、薬がキライで、医療不信のわたしが
       食生活を見直し、
       CEAT療法に出逢い、
       新しい自分を発見する話。
(「寿命です」kn1903)
  
※CEAT療法を盲目的にお薦めしているわけではありません。ご自身でよく検討されてください。


    (個人的感想:この本が一番わかりやすく納得しやすかったです)


   



■縁というトビラ

その昔、『スライディングドア』という映画があった。
てっきりサンドラ・ブロック主演だった気がして探してみたら違った。自分の記憶って当てにならん。1998年制作映画だ、22年も前だ、最近の出来事でさえ曖昧な記憶と共に生きている身としては映画のタイトルを思い出せているだけで御の字ってもんだ。

あった!これ!⇩

スライディング・ドア(字幕版)

スライディング・ドア(字幕版)

  • 発売日: 2014/09/14
  • メディア: Prime Video


なぜこれを思い出したかというと、
この世界はパラレルワールドで「今、この瞬間」をどう選択するかによって「未来」が如何様にもなる、という話を再び耳にしたから。

ヒトはどうしても「なにかを予測」しつつ生きる。
今後の予定についていつも気持ちが先走る。
これからどうなるのかを憂う。
昨日の失敗に気を取られていたり考えても仕方のないことに翻弄される。


どうしたら、なにをしたら、どうやれば、どうすれば、どうしようか。


明日は明日のトビラを開けてみないとなにがどうなって自分がどうなっているのかなんて誰にもわからないのに、ですよ。
あれやこれや考える。
突拍子もないことが起こるかも知れないし、予想もつかなかったことが目の前に現れるかもしれないのに。


自分の狭い思考の範囲でなにかをどうにかしようともがくより、
なにも考えずなにも決めずに潜在意識という壮大なエネルギーを頼って流れに任せてプカプカ漂ってみるのが一番!、なんじゃないのかな。


目の前に現れた『縁(=えん、チャンス、巡り合い、ギフト)』のトビラにポンッと乗り込むか、あまりにも予想外なことに躊躇してトビラが閉まるのをただ見つめているか。


今、振り返れば、
CEAT療法(がん活性消滅療法=共鳴反応検査とマイクロ波照射療法でがんを治療する療法)は目の前にポンッと現れた不思議なトビラだった、と思う。それを選んだというより、「選ぶことになっていた」と言ったほうがしっくりくる。

なにをどう選択してもその未来はそれなりに選択した道の結果に続いている。Aを選んだ「わたし」はAの結果に向かい、Bを選んだ「わたし」はBの結果、Cを選べばCへ、なにも選ばなくても選ばなかったという道にある結果に向かう、パラレルワールド
どこをどう歩いてもそれぞれの選択肢の世界のわたしが命をまっとうしていく。


『縁』というトビラは自力で開けるわけじゃない。
目の前で開いたトビラに乗り込んだ「わたし」がいて、「今、ここ」にいる。
「今」は「過去」の結果。
「未来」は「今」の結果。


どこをどう選んで歩いても、
そこには「わたし」の世界であり、「わたし」が経験することだけがある。



■すべては「それを経験するため」に導かれる

痛みを抑えながら死ぬまでのカウントダウンを始めたはずのわたし。
緩和ケアへのトビラしかないと思っていた頃。
積極的な治療はしませんと宣言し、
手術は大々的になるだろうと言われたけれどお金ありませんからと断り、
さて、これから末期生活に入ります、と思っていた矢先に
CEAT療法のトビラに足を向けた。

自力で開けたトビラではなかった。

そこはとても明るい光が差していて、居心地が良くて、笑顔が溢れていた。
気負わず、力まず、ただただ真摯に
「今」という状態と向き合い、ベストな「未来」にバトンを繋げようとする人たちがいた。

心地良さ。
気分の良さ。

清々しさ。


「一風変わった治療」であるゆえ、信じられない人や毛嫌いする人もいるだろうし、気にも留めない人のほうが多いだろう。
なにをどう選ぶか、なにをどう経験していくかは自分が決めればいいことだ。


カラダの状態、
主治医との出逢い、
薬との出逢い、痛みとの出逢い、しんどさとの出逢い、

心地良さとの出逢い、気分の良さとの出逢い、

「それを経験しよう」、と決めたのだ。
ココロのどこかで。
いつしか潜在意識が決めたのだ。
そう決めたから目の前のトビラが開いた、のでは?


すべては経験。

わたしたちは「経験」しかできない。

わたしたちは「経験」することを決めて生まれてきた。


CEAT療法を強くお薦めしないのも、CEAT療法についてばかりを書かないのも、トビラをひとつ開けておくだけに過ぎないからだ。
足を踏み入れるのは自分で決めることだから。
「自分で決める」ことは強くたくましい。

だから「多くの人に伝えたい」なんて思わない。
誰か、たったひとりでいい、その誰かに響くものであればいい。


わたしのように末期状態からスタートすればそれなりに期間もかかる。
がん活性レベルが減少し、カラダのあちこちにあった転移部分のがん活性が消えてあとは原発巣のみになったとはいえ、まだまだ重病人であることには変わりない。(といってもQOLってやつは健常者と何も変わらず元気そのもの♬)

がん活性のレベルが小さい人はマイクロ波の照射も数回で終わるし、
検診目的で受診すればカラダになんの負担もなくがん活性の有無を知れて安心できる。



末期状態だということをそのまま受け止めて標準治療に身を投じていたら今ごろは厳しい現実を経験していたことだろうな。
3ヶ月から半年、という余命時期を何ごともなくまったくもって元気なままで過ごしている今日この頃。
今月でその半年も過ぎていく。


ラクなほうへ。
楽しめるほうへ。
心地良いほうへ。
気分が良いほうへ。

わたしの経験は今、そんな明るさの中にあります♬




*主に月曜日と木曜日にUPしています*

同じ「がん」と言っても人それぞれで、同じ「乳がん」といっても千差万別。同じ人がいないというくらい病状も状態もそれぞれに個性的だから、どこまで参考になるかはわからない。 
だけど。
少しでも。
勇気になるように、希望になるように、笑顔になるように。

あなたが今、生きているということそのものが希望。

大丈夫。



今日はここまで。

書き続けます。


CEAT療法とは、「がん活性消滅療法」(Cancer Energy Annihilation Therapy)の頭文字を取ったもので、共鳴反応検査とマイクロ波照射療法でがんを治療する療法。一般的ながんの標準治療(手術・抗がん剤放射線)とはその様子がまったく異なり、検診やCT画像等では見つけることができないわずかな「活性がん遺伝子」までも発見でき、健康な細胞にダメージを与えることなくがんの活性を消し去ってくれるものです。


『「がんは取るに足らない病気である」という世にできると信じています。』
        (一般社団法人 癌活性消滅療法学会理事長 前田 華郎氏の言葉より抜粋)
           ※癌活性消滅療法学会ホームページ → https://ceat.or.jp/greet.html


このブログが誰かの役に立ちますように。

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病院がキライで、薬がキライで、医療不信のわたしが
食生活を見直し、
CEAT療法に出逢い、
新しい自分を発見する話。
 
『寿命です』 K.N 



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多くの人に読まれることが目的ではないけれど、多くの人の目に留まらなければ
必要な人にも届かないのでこういったものに参加してみることにしました。

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