寿命です

今日が人生でいちばん最良の日

「思春期のヤンキーよりヤサグレ感が強い体調不良との戦いが始まる。」

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に関して『太陽光には、物質の表面と空気中の両方に存在するウイルスを不活性化する作用があるとみられる』(米国土安全保障省長官の科学技術顧問ウィリアム・ブライアン氏)という記事を見た。ほぉ、ここでも太陽がおでましです、なんというタイミング。前回記事で「北風と太陽」というキーワード出したもんだから調子に乗って引用していますけど、太陽光の消毒・殺菌という強い味方がこれからの季節に大活躍してくれるはずだから、大なり小なり何らかの疾患があったり体調に不安があってウイルスに怯えている人の精神の緊張を解かすリラックス情報になればいいな、と思う。
 
真夏の暑い日差しには辟易しても、太陽の恩恵はやっぱり素敵。洗濯物はパキッと乾くし、天日干しのお布団はふっかふかで気持ちいいし、そりゃぁ紫外線は気になるけれど太陽に当たることでビタミンDが作られて骨を強くするというし。カルシウム強化、これ大事。さらに電気だって作れるし、なんならソーラークッカーで料理までできる!(ソーラークッカーとは太陽熱で調理ができる優れものの名称。今年の夏は活用させるぞ)
 
話が逸れた。


完全にウイルスを消滅させるわけではないようだから諸手をあげて喜ぶことはできないとしても、不活性化すれば罹患しにくくなるはずで、また、罹患しても軽度で完治しやすいだろう、と。安易なシロウト考えか?
不活性化。そう、勢いを削いじゃえばいいじゃん、北風ピューピュー浴びせるように言うこときかない子どもをバシバシ怒ってよけいに反発心を大きくするより、太陽の光で包むようにお前は愛されているんだぞ信じているからね、と、愛を送り続けていれば、思春期の不良のどうしようもない積み木くずし(時代古い)もいずれまっとうな道を歩くものよ。



そろそろ自分の話を書かなくちゃね。


道を外れることなく歩いていた2018年の秋が過ぎたころから体調がなんとなくおかしいなぁと思うことが多くなり、その後2019年の春を迎える頃にはどうしようもない体調不良に襲われたていた。体調不良という不良はなかなかしぶとい。思春期のヤンキーとはわけが違う。もっと、こう、なんというか、ヤサグレ感が強い。

もともと小さな頃から肌疾患を抱えた人生で、「脱ステロイド」というアトピー性皮膚炎疾患の方なら「あ~ね」としたり顔になるそれすら、ほぼ誰も経験したことのない酷さに耐えきって乗り越えた強さも持つ。わたしの疾患はアトピーというものと似て非なるものでめんどうくさいからアトピーでしょ?と言われたら黙ってうなずくことはやぶさかではないが、ステロイド薬害の残酷さは筆舌に尽くしがたい。だから誰にも解ってもらえない。だからこそ強く生きてこられた、のかもしれないがな。

普通の人と変わらない肌質状態から再び肌疾患症状が現れてきても、大丈夫、これくらいすぐに治ると軽く思っていたし、「そろそろ閉経の年齢だしホルモンバランス崩れて当たり前、体質の変化だろう」くらいの気持ちだった。しかし、襲いかかる不良のスピード加速はえぐく、すぐに治ると思ってた期間は大幅に裏切られ、太陽が燦燦と降り注ぐ夏が来てもいっこうに退いてくれる気配がなかった。


仕事はなんとか続けていたものの、誰にも逢いたくない、どこにも行きたくない、
てか、行けない。
社交性を発揮する気力もなくできうる限り交友関係を断ち、人目を避け、人知れず発作のような症状に苦しみ悶えていた。
「頑張れ、ガンバレ」自分に言い聞かせる呪文のように繰り返し、「大丈夫、大丈夫」と慰め続けた。


ひとり。ツライ。クルシイ。

大丈夫。頑張れる。
 
でも。
 
タスケテ。



秋になると外気の乾燥も加勢してか、四方八方を不良に囲まれたカラダは戦う気力が尽き、体力的だけでなく精神的にももう限界が来てることを知る。もう良くなる気配がいっこうにやって来ない。 



死にたい。

シニタイ。
 



10月を過ぎてさらにどうすることもできない状態になっていく。
それと同時期にとある症状が急激に悪化しだした。
 
 

これは、死ぬな。

そう確信した。
 

 
5年ほど前から胸にしこりがあることは気づいていた。
(さらに、これはあとになって自覚したのだが、10年以上前に謎の腕のだるさが頻繁に起こっていたことがどうやら発端の自覚症状だったらしい。腕のだるさと乳がんが結びつく人はどれくらいいるんだろうな。)

ただの脂肪のカタマリなどではないな、と気づきながらも、その当時、パワハラ世界と戦っていたわたし。
離職を決意してから数ヶ月、ふらふらになりながら穏便に離職することに気力を使い果たし疲れきって、死ぬならもうそれでいいです、カミサマ、という気持ちだった。
もうほんとになにもかもどうでもよかったな、あの頃。


それから酷くなることもなかったけれど、急に秋から状態がおかしい。夏ごろにも痛みが始まってはいたが急激に「ヤバイ」気配を見せてきたのだ。一度死ぬことにOKを出したこともあって、病院に行くつもりはこれっぽっちもなく、行くとすれば自分でどうしようもなくなったならどこかの緩和ケアにお世話になるつもりだった。


でも。
ちょっと待ってくれ。
死ぬのはいい。
それは自分で許可してきたことだし。
人は誰でも死ぬ。
死ぬこと、そのものに関してはちっとも怖さなど持っていない。
 

だけど、待ってくれ。
 
この肌疾患をどうにかしたい。
そうしたら死ぬこともすんなり受け入れられるよ、カミサマ。
 
 

どうしようもない不調に苦しみ抜きながら2020年を迎える頃、そろそろ「病院に行く」という選択をする時期が来たことを自覚し始める。それだけ肌疾患がどうしようもない精神圧迫になってたわけなんだけど。



なにをどうしたらいいのかわからない。

だけどなにかをどうにかしないとダメだ。



どん底にストンと落ちたとき、本能的ななにかを察知するのかもしれない。そこからわたしはいろんなタイミングを拾っていくことになる。良いことも悪いことも。そしてその悪いことだと感じたことがオセロの白と黒がひっくり返るように良かったことになっていく不思議を拾う。ここからがまた長い話。



 

このブログが誰かの役に立ちますように。




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病院がキライで、薬がキライで、医療不信のわたしが
食生活を見直し、
CEAT療法に出逢い、
新しい自分を発見する話。
 

『寿命です』 K.N